【西野亮廣】奪う貧乏人と与える金持ち
真っ先に目先の利益を取るやつ馬鹿だよね。結構皆さんの周りにもいると思うんです。ちょっと待てば巡り巡って大きのがその先に待っているのに、目先の利益を取ろうとするものがいる。
これは言語化されていて、真っ先に自分の利益を優先する人のことを”テイカー”という。
打ち上げの食事をちょっとケチって食費を浮かせて自分の懐にお金を入れるみたいな、こういう人がテイカー。
一方、惜しみ無く与える人は”ギバー”っていう。
整理するとパイを取り合おうぜ、奪い合おうぜという人はテイカーで、パイをデカくしようぜという人はギバー。
つまり、打ち上げの食事を贅沢豪華にして、とにかくここにいる人に満足してもらおう。でそこにいる人みんなが、「ありがとう」って言ったら、またいつかその人達が別の形でお礼をしてくれるかもしれない。
そっちの方がそん時にみんなにお礼をしてもらった方が、打ち上げの食事を削って財布に入れた物よりも大きい。この考え方がギバーの人は体に染み付いている。
言語化しないまでも、体に染み付いてるんでパイをデカくしてもいいじゃんって細胞レベルで反応している感じの人。
あくまでも一般的にお金持ちの人と、小金持ちちょっと普通中流の人と、貧乏人というこの3種類のタイプの結果があったとして、お金持ちはギバー。普通の人はテイカー。貧乏人はギバーなんです。ギバーはお金持ちにもなれば、貧乏人にもなる。
お金持ちのギバーと貧乏人のギバーの違いとは?
これも答えは出ていて、自己犠牲型か、他社指向型か。
自己犠牲型というのは、つまり自分が犠牲になってもいいからとにかく与える。こういう人はテイカーの食い物になってしまう。獲物になってしまう。基本的には貧乏になってしまう。
他者指向型というのは、付き合う相手がテイカーだな思ったら距離を置いてしまう。自分が損をするとわかった瞬間に与えない。
ここが非常に重要です。
ギバーであればいいということでは決してない。相手がテイカーだった場合、距離を置かなければならない。
テイカーっていうのは、世の中の人ほぼテイカーだと思うのですが、テイカーはやめた方がいい。道徳的にやめた方がいいのではなく、利益が欲しいんだったらここ待ってパイデカくした方がコスパがいいから、そっちにいけよ。
今テイカーっていうのはシェアされてしまう、広まってしまうと、テイカーは奪うお仕事だから次の奪い続けられる人を探し続けないといけない。休めない。
加えて他者指向型のギバー、つまりお金持ちのギバーからは、距離を取られてしまうので、テイカーはどこから奪うかというと、貧乏人のギバーからしか奪えない。つまりそもそも奪える量が少ないところから奪うしかない。こういうサイクルに入っているのでコスパが悪いからやめた方がいいと思います。
他者指向型のギバーになるには育ちもありますが、経験が必要である。訓練が必要である。パイを大きくすれば、得をしたという経験が非常に必要だと。ここをやっぱパイをデカくした方がいいなと体が覚えてしまったら、勝手に他者指向型のギバーとして動けるようになるので、まずは経験が必要である。やってみなくちゃわからないっていうところに行き着くと思います。
まとめ
お金持ちというのはギバーである。小金持ちはテイカーである。貧乏人はギバーであると一般的には言われている。
今回のタイトル「奪う貧乏人と与える金持ち」なんですが正しくは、奪う貧乏人て変だなと思うんです。奪っていたら貧乏にはなっていないじゃないですか、奪う小金持ちと与える金持ち。プラス与える貧乏人っていうこっちがタイトルとして正しいと思うのですが、何でこんなタイトルにしたかというと、あらゆるものがシェアするみんなで分けようねという時代に入ってきて、何となくみんなの中で、他者指向型、つまり相手がテイカーだった場合に距離を置く人の割合が増えた感じがするんです。
誰とシェアしたいかという話になってきているので、気持ちいい人とシェアしたいなという。
昔はSNSみたいなものがなかったらから、そいつがテイカーであることは広まらない。でも今は広まる。他者指向型の人が増えた感じがして、距離を置く人が増えた感じがしていて、テイカーは食い扶持を失っている。
なので奪う貧乏人、つまりテイカーである貧乏人とタイトルにさせて頂いた。
整理すると、やっぱり持っておかないといけないのは、他者指向型であれ。
相手がテイカーだった場合、距離を置くことが非常に重要で、これが成功するための一つの要因である。
距離を置くをやった上で与えるということが非常に重要。与えるということは正確ではなくて、先天的なものではなくて、後天的なものであるというのが自分の結論。
「与えて、与えて、与えて、得をした」という経験をしているか否かで大きく変わってくる。
まずは与えてみるっていうことが重要。その上で、どうなったという検証をするということが重要。